さて、先日のブログで中国の祝日と記念日について取り上げましたが、新暦を採用している日本人にとって、若干分かり難い所があるかもしれません。

例えば2017年の端午節(duān wǔ jié)は5月28日(日)~5月30日(火)となっています。さりとて、儿童节(中国版「子供の日」)は6月1日となっているので混乱するばかりですね。

しかしながら、両者とも日付が近いため、熱い商戦が繰り広げられているようです。

参考資料:中国の「こどもの日(児童節)」は親の財布のひもが緩みやすい 見逃せない端午節の習慣と販促イベント

これは、端午節について調べれてみると分かります。元々の起源からして、子供の日とはあまり関係がありません。

粽(ちまき:中国語では粽子zòngzi)を食べたりする習慣は変わらないものの、中国で習慣となっている薬草(菖蒲(ショウブ)や蓬(ヨモギ))を使った無病息災を祈る習慣が、日本にやって来てから、武家社会の発展と共に、菖蒲=ショウブ=勝負という連想が生まれ、男の子の節句として定着していったようです。また、菖蒲の葉の形が刀に影響しているということも影響したようです。端午節に柏餅を食べる習慣は中国にはありません。鯉のぼりという習慣は日本独自のものですが、これはご存じの登竜門の故事から来ているとのことで、面白いですね!

折角ですから、豆知識として、中国の端午節の起源を見てみましょう。Wikipediaの汨羅江(べきらこう)から引用します。

(以下引用)

戦国時代の末期、楚の詩人・屈原(くつげん)は、主君である懐王とその子である頃襄王(けいじょうおう)の対外政策に異を唱えたため宮廷を追われ、長江より南の汨羅江(べきらこう)河畔の玉笥山(ぎょくしざん)に流された。屈原はこの地で生涯でも最も重要な作品である『離騒(りそう)』などを書いた。これは後に編集された『楚辞』にも収録され、楚国の詩の代表作とされる。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げした。
言い伝えによれば、汨羅江の漁民は龍舟(ドラゴンボート)を漕いで屈原を助けに行こうとしたが果たせず、竹葉に包んだ糯米(もちごめ)を川に投げて屈原のための祭祀を行った。ここから、汨羅江は龍舟と粽子(ちまき)という中国の重要な民俗行事の発祥地と呼ばれるようになった。

(一部読仮名を追加。引用以上)

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

出典:百度

十二支を各月にあてはめた時「午の月」は5月となり、端=端緒の端なので「始め」という意味があり、「端午」は5月の初旬となります。旧暦でいくか、新暦でいくかの違いですね。

尚、こどもの日(国际)儿童节について調べてみた所、「1925年にジュネーブの子供の福祉世界会議で、6月1日が国際子供の日(International Children’s Day)と制定され、1954年の国連総会により、11月20日が世界こどもの日(Universal Children’s Day)と制定された(出典:Wikipedia)」、ということに加え、「1949 年にモスクワで開かれた国際民主婦人連盟の会議にて決まった」と二通りの記述が見当たり、確証はありませんが、端午節と全く関係がないことは間違いありません。偶々、旧暦の端午節と儿童节(こどもの日)が重なっただけのことですが、ビジネスの観点からは大変興味深いものがありますね。

 

 

 

Share